カテゴリー:コラム  2014/10/15

横浜弁護士会 47期
弁護士 横溝 久美

川崎で弁護士をしております、横溝久美と申します。司法修習期は47期で、8月30日(土)には京都で20周年記念大会がありました。クラス別の懇親会は、京都の老舗「美濃吉本店」にて行われ、齢を重ねたクラスメートがそれぞれ自分の領域で頑張っていることを目の当たりにして、大いに刺激を受けました。刺激ついでに二次会は「お茶屋遊び」へ! 初めての体験です。舞妓と芸妓の違いやら、お茶屋遊びのルールやらを教えていただいて、いやあ勉強になりました。その勢いで三次会へ! お決まりのカラオケです。世代が一緒なので、心置きなく懐メロを歌い合い、午前二時に目出度くお開きとなりました。

 

さて、私は昨年から、法テラス川崎支部長、非常勤裁判官を務めております。

法テラスは、資力の乏しい方々に法的支援を!という理念で制度化されましたが、現場では職員の負担が増しているような気がいたします。援助の仕組みが複雑化していることもあって、それを把握し、依頼者のみならず弁護士にも懇切丁寧に説明・対応しなければならない。決められた書類等が提出されないときは督促をしなければならない。苦情や不服への対応etc.etc.心身ともにしんどい仕事であると、傍らから見ていてそう思います。依頼者は兎も角、弁護士には、そういった労苦を理解された上で法テラス業務に協力していただきたいと、切に願っています。

非常勤裁判官をやっていて思うことは、良くも悪くも家庭裁判所が身近になったということ。本人申立が多いのは悪いことではありませんが、「こっ、こんなこと夫婦の協議で容易に決められるのでは?」「婚姻期間が短いのに何故こんな財産分与を請求するの?」「慰謝料って言っても、慰謝しなければならない損害って?」「自分の子供なんだから養育費支払うのは当然でしょう?」といった、昔は家裁にまで持ち込まれなかった案件が多いような気がします。まあ、「裁判所で決める」のは悪いことではないので、私の主観的な感想として・・・。それから、代理人として弁護士が就いているのに、然るべき資料を提出してくれない案件も散見されます。調停で纏める気はなくて、早く訴訟に持ち込みたいのかもしれませんが、 やはり「資料」「証拠」は依頼者や相手方を説得し納得させる材料なのですから、早めに提出していただきたいなと思います。「証拠がなくても調停だからまっ、いいか。」は・・・。裁判所が身近になり過ぎるのもいかがなものかと思ってしまいます。

などと、上から目線でかなり偉そうな物言いをしてしまいましたが、以上全て、20周年を迎えた自分への自戒を込めて書かせていただきました。


カテゴリー:コラム  2014/10/10

第二東京弁護士会 60期
弁護士 刑部 志保

司法修習生という言葉をご存知だろうか。

 

いうなれば、弁護士や裁判官、検事の卵だ。

司法試験合格者は、法曹として働くその前に1年間の研修を受ける必要がある。それが司法修習生だ。

 

司法修習生は、弁護士、裁判官、検事のそれぞれの仕事を、実際の現場で研修生としての立場で体感していくことになる。弁護士としての研修においては、もちろん、各地の弁護士会で修習生の面倒を見ることになる。そのためにあるのが司法修習委員会だ。私はその委員である。

 

私が所属する第二東京弁護士会では司法修習生向けに「模擬裁判」というカリキュラムを用意している。文字通り、「模擬」的に「裁判」を体験できるプログラムだ。

修習委員が扮する依頼者から相談を受けた弁護士役の各修習生は、その相談者の為に、訴状などの書面を作り、裁判を進めていく。本当の裁判所の法廷をお借りして、証人尋問(裁判官の前で当事者が証人に対し質問をし合う手続だ。)を行うなんてことまで用意されている。

 

先達て行われた模擬裁判で、私は被告依頼者本人役を仰せつかった。今まで演劇などには全く縁のない人生を歩んできたが、全くの別人になりきって話をするというのは、意外に面白い。

被告役を演じるにあたっては、10頁程度のシナリオを頭に入れておかなければならないのだが、その内容が妙にリアリティがあって細かい。夫とのなれ初め話や好きな食べ物まで事細かに書いてあるのだ。私の性格上、そういったところばかり覚えていて、肝心の取引云々といった模擬裁判において重要な部分はすっかり頭から抜け落ちてしまうから、全く困りものだった。

 

今回の模擬裁判で被告本人を演じることは面白かったばかりではなく、非常に勉強にもなった。弁護士役の修習生の依頼者(私)への接し方や尋問のやり方などをみて、修習生に対して注意をしたりアドバイスをしたりしたくなる場面は、そっくりそのまま、日常的な自らの業務への反省に繋がる。

偉そうなことは言えないなあ、などと思いつつも修習生に対し注意やアドバイスをしてしまった(それが修習委員としての役目ではあるのでご容赦願いたいところだ)。

 

また、改めて思ったのは、司法修習というものが、多くの実務家の支えによって成り立っているという事だ。そもそも模擬裁判に裁判所の本物の法廷を貸してもらえるのだから、非常に贅沢だ。また、私も微力ではあるが弁護士業務の合間を縫って、お手伝いさせていただいたわけである(別に恩を売りたいわけではないので、念のため)。

 

自らが司法修習生の時は、周りの支えであるとか、そういったことをあまり考えずに漫然と過ごしてしまった感がある。それが今では非常に悔やまれてならない。

法曹に限らず、どんな仕事でも、周りが寄って集ってアドバイスをしてくれ、面倒を見てくれる機会というのは、その最中にある時は、そのありがたみに気が付かずかないもので、仕事に行き詰ってふと立ち止まって振り返った時に、あの時自分がいかに恵まれていたかということを思い知るものなのだろう。

 

そんなことをしみじみ思った模擬裁判だった。


カテゴリー:コラム  2014/10/06

東京弁護士会 55期
弁護士 三枝 恵真

 10歳と5歳の子どもを育てながら、弁護士をしています。

 毎日の生活はお恥ずかしいくらいバタバタしており、朝ご飯は台所で立って食べ、夕方は駅から猛ダッシュで保育園のお迎えをし・・・などというパターンを繰りかえしています。

 

 しかし、育児の中から仕事に大切なことを学ぶことも多いのです。

 仕事を続ける中で思うのは、謙虚でいることと忍耐力の大切さです。扱う仕事は、いわば争い事ばかり。心のバランスを取っておかないと、自分の気持ちもささくれだってしまうことがあります。そんなとき、イヤイヤ期の子どもを相手にすることで培われた忍耐力が役に立ったりします。

 何より、子どもと一緒にいるときの、ホッとする気持ちが明日への活力になります。

 

コラム「野球のベンチで人生を教わる」 今日は、最近教わった大切なことを書いてみたいと思います。

 うちの長男は小学校4年生、地元の野球チームに入っています。必ずしも野球が得意だから始めたのではなく、あまり運動があまり得意でなく、外遊びも好まないので、身体を動かすために始めました。

 少年野球も、春から秋にかけてはさまざまな試合がありますが、運動が得意でない長男は、試合に出場することができず、ベンチで応援することも多くあります。試合の日は、私達家族も応援に出かけます。自分の子どもが出ていない試合でも一生懸命応援しなくてはと思っているのですが、ずっとベンチで座っている子どもを見ると、残念な気持ちになることもありました。

 そんな中、チームの監督がチームメンバーに話した話の中に、「人生で大切なことは野球のベンチで教わる」というくだりがありました。私なりの解釈ですが、レキュラーやスター選手になれるのはごく一部、そのほかの人は人の目をひくような活躍は出来ない。でも、諦めずに練習を続けること、活躍する選手を支えることで人間として成長できるということだと思いました。

 改めて見てみれば、我が子も、最初のうちは試合に出たいと愚痴をこぼしていましたが、今では試合中の応援、バットやボールの片付けを一生懸命やっています。日常生活でもずいぶん我慢強くなりました。我慢すること、人のために働く喜びといった大切なことを自然に学んでいたことに気付きました。今では、毎日素振りの練習をしています。

 私自身も、毎日地道な努力をすることの大切さを教えてもらった気持ちで、仕事で落ち込みそうなときは、思い出しています。

 そして、今週末も、応援を頑張ります!


カテゴリー:コラム  2014/09/15

東京地方裁判所 49期
裁判官(匿名)

 私は、裁判官になって20年近くになろうとしていますが、日々の仕事をするうえで欠かせないと思っているのは、できるだけ穏やかな心でいるということです。自分の気持ちが落ち込んでいたり、苛々しているという状態では、紛争の解決に当たるのは難しいように思います。私は、あまりストレスは感じにくいタイプと思っていたのですが、さすがに40歳を超えて数年ともなってくると、抱える悩みは、若いころに比べて深刻なものが多くなり、かといって気分が楽しくなるようなことも、そうそう起こるわけでもなく、気持ちの安定を保つにはどうしたら良いかと思っていました。そこで見付けたストレス解消法がピアノです。

 私は、子どものときにピアノを習ってはいたものの、ブランクは相当なものでしたし、ピアノは家で練習する必要がある習い事なので、そもそも練習時間が取れるのかなど不安はありました。しかし、かなり大きくなったとはいえ、子どもがいながら仕事をしている以上、忙しいのは今後も変わらないだろうと思ったのと、続けられなければすぐに止めれば良いと思い、約1年前に軽い気持ちで始めてみました。実際、習い始めてみると、毎日練習することは到底かなわず、週末と早く帰れた平日に少し弾けるという程度です。しかし、家での練習がほとんどできていなくても、子どものときのように先生から叱られるわけでもないから気楽ですし、先生の所に行っている日は、若くて素敵な先生からの注意を聞いているだけでも幸せな気分になります。何回やっても弾けるようにならず、もう無理かと思った部分が弾けたときなどは、思わず手を叩いて大喜びしてしまい、こういう種類の喜びは、久しく味わっていなかったなと実感しました。また、子どものときからさして上手ではなかったのが幸いして、以前とあまり変わらずに指が動いてくれたのも意外でした(ただ、暗譜はなかなかできず、記憶力の衰えは非常に痛感しています。)。そして、何よりのストレス解消の効用は、裁判官として仕事をしているときとは正反対に、思う存分、感情を表現できることです。

 私の今の夢は、このまま細々とピアノを続けて、ピアノが弾けるおばあちゃんになることです。皆様も、お忙しい毎日だと思いますが、子どものころに少しはやっていたこと、又は全く新しいことに挑戦してみたいという気持ちがよぎったら、とりあえず始めてみるのはとてもお勧めです。本業にもプラスの効果があるのではと思いますよ。


カテゴリー:コラム  2014/09/10

東京弁護士会 47期
弁護士 萩谷 麻衣子

この夏、大学1年生の娘がインドに行ってきた。

インド・ムンバイの小学校でボランティアで英語を教えるためで、住居は現地スタッフが準備してくれるという話だった。しかし、真夏だというのに、準備されていた住居にはシャワーがなく、トイレは一応水洗だが紙を流すと詰まってしまうといった状態で、大量の虫もネズミも同居していた。そこで彼女がムンバイに着いてまず最初にやったことは、とりあえずもう少しまともな住居を探して借りる、ということだったらしい。
必死で探した住居は、夜は蚊とアリとネズミにまみれてウクライナ人の女の子2人と2つのベッドをつなげて3人で縮こまって寝なければならないし、トイレに紙を流せないことは変わりなかったが、かろうじて水が出るシャワーはついていた。

ムンバイのスラム

彼女の教える小学校はムンバイのスラムの中にあった。学校への通勤は、ドアの無い満員電車から落ちないように必死にどこかに摑まってゆられるか、乗る時に交渉しても途中どこに行くか分からないリクシャーと呼ばれるバイク版人力車に乗るか、通勤も命がけだったとのこと。
帰国後見せてもらったスラムの写真はまさに映画「スラムドッグミリオネア」で映っていたスラムの光景そのままで、あの映画が現代のインドの実際のスラムを舞台にしていたことを納得させられた。
そのスラムの小学校の生徒達は300?400人いたそうだが、授業の開始時間は決まっておらず、チャイムもなく、だいたい午前11時頃になるとみんな教室に集まってくるので授業を始め、午後2時頃に適当に終わる、ものだったらしい。給食は出るが、お皿が生徒全員分無いので先に食べた子達のお皿を雨水をためたドラム缶にジャボジャボっと浸けて次の子達に回す。生徒達は、どの子も人懐っこくて、解答が全然解らないのにかまって欲しくて我れ先にと「はい!はい!」と手を挙げるそうだ。彼女にとってはこの子達に会えることが3週間のインド生活で一番の楽しみだったとか。

食事は、レストランに行くも、まわりの外国人達が次々と食あたりを起こしていくので、最後はパンにチョコレートを塗って食べるのが最も安全で美味しかったと言っていた。

超ドメスティックな自分は、彼女のような経験をすることは生涯ないだろう。彼女は、インドから帰国後、残り3週間の夏休みをヨーロッパで過ごすと言って、チャチャッとパソコンで安いユースホステルを予約し、さっさと一人でまた旅に出かけてしまった。
彼女の積極性は遺伝子のなせる業ではない。現に、同じ遺伝子・同じ環境で育った高校生の息子は、これまた超ドメスティックで、日本国内はおろか、自分の部屋からもなかなか出てこない。
こんな姉弟を見ていると、クローン技術や生殖技術で思い通りの理想の人間を作り出そうと思っても、そうはうまくいかないんだろうなとしみじみ思ったりする。


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