JICAベトナム法整備支援プロジェクトに参加して

2011年12月31日
小幡 葉子(弁護士)

1. はじめに

 私は、2009年5月から2011年3月まで、ベトナム社会主義共和国の首都ハノイで、JICA(独立行政法人国際協力機構)法・司法制度改革支援プロジェクト1の長期専門家として、主として同プロジェクトの弁護士分野を担当した。

2. 「どうしてベトナムへ?」

 ハノイへ派遣されることが決まってから、会う人ごとにこう聞かれた。国内業務の経験しかなく、ベトナムとの接点もなかったから当然である。一度は海外へ出て仕事をしたいと考えていて、日弁連の求人情報にJICA専門家の募集が掲載されているのを見たとき、これなら日本での弁護士としての経験を海外で活かせるに違いないと考えた。夫と2人の息子を置いて単身で行くことになるので、家族には申し訳ないと思ったけれど、これが最後の機会だと考えて応募することを決断した。

  こういう経緯で赴任したベトナムであったが、当初から外国人ではなくベトナム人に見られることが多かった。たとえば、レストランの店員が同行のベトナム人ではなく私に向かってベトナム語で話し始めるとか、歩いていると道を聞かれるとか、ある時など、英語で話しかけたら「あんたは越僑(ヴィェッ・キィェウ、Overseas Vietnameseのこと)か?」と聞かれたこともあった。ベトナムと私との間には何かの縁があったのかもしれない。

3. 法整備支援とは2

 法整備支援は、支援対象国が法の支配(Rule of Law)を確立するための社会基盤整備に対する支援をいう。1990年代に社会主義国(または旧社会主義国)で市場経済の導入が進み、既存の法令・司法制度では国内・国外で活発化する経済取引の規律が困難になったため、新しい実体法(所有権・契約を基本とする私法秩序)・手続法(司法による権利の実現・倒産法制)が必要となって、UNDP(国連開発計画)、WB(世界銀行)、ADB(アジア開発銀行)などの国際機関、各国のODA組織などが、法整備支援に乗り出した。
日本政府ODAの法整備支援事業は、1996年ベトナムで始まり、その後、中国、インドネシア、モンゴル、ウズベキスタン、カンボジア、ラオス、ネパールの各国で実施されてきた。

 ベトナムでは、上記国際機関のほか、EC(欧州委員会)、デンマーク、スウェーデン、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ(ABA)、日本などの各国が法整備支援の実績を有している。

4. ベトナム法整備プロジェクトの活動3

 私が長期専門家として参加したベトナム法整備支援プロジェクト(2007-2010年度)のでは、立法支援と業務改善支援を2本の柱としていた。

 立法支援としては、民法、国家賠償法、担保取引登録令、民事訴訟法、行政訴訟法、民事判決執行法、刑事訴訟法などの分野で、既存の法令の改正、国会常務委員会令や政府議定の法律への格上げ、政府議定・通達など下位規範の制定などの起草作業4に対して、日本での立法や運用についての情報提供、ドラフトへのコメントその他の支援を行った。

 実務改善支援としては、業務マニュアル(裁判官判決書マニュアルなど)作成の支援、事例・問題研究(刑事法廷を傍聴し、検討会を実施するなど)、法曹および関連専門職(執行官、公証人、戸籍官など)の能力向上のためのワークショップ、トレーニングコースの開催、弁護士連合会の組織強化(本邦研修5や短期専門家派遣などを通じて、日本の弁護士会・連合会の組織運営についての情報提供など)その他の支援活動を行った。

 私たち専門家は、法曹三者が同じプロジェクトで活動するという特色を最大限に発揮するため、それぞれの担当分野以外の活動にも積極的に出席し、それぞれの担当分野にフィードバックするよう努めていた。たとえばある検察のワークショップでは、日越の検察官数十人の中に弁護士は私一人であったが、日本の弁護士の観点からはどのように考えられるか、という私のコメントを、皆さん熱心に聞いてくださったのが印象に残っている。

 また、首都ハノイだけでなく、パイロット地区であるバクニン省6をはじめ、ベトナム各地で開催されたワークショップやトレーニングコースを支援し、私たち専門家もできる限り同行した。

ヴンタウ市(バリアヴンタウ省)郊外の道路沿いの茶店で休憩
ヴンタウ市(バリアヴンタウ省)郊外の道路沿いの茶店で休憩し、ココナツジュースを注文。

5. ベトナム法整備支援に関わる人々

(1) 在ベトナム

1) ハノイ・プロジェクトオフィス

 JICAの長期専門家は、カウンターパートである相手国の国家機関の庁舎内で執務する場合が多いが、当プロジェクトは、市中心部にあるオフィスビルの一室を賃借して、そこで、日本人の長期専門家4名(法曹三者およびコーディネーター)と現地スタッフ4名(1996年のプロジェクト開始時からのスタッフもいる)が勤務している。

ベトナム女性の日に事務所のスタッフと
ベトナム女性の日に事務所のスタッフと。この日と国際女性の日には、職場の男性が花を贈る習慣があり、生花の値段が高騰する。

2) JICAベトナム事務所

 JICAのベトナムにおける代表機関として、JICAベトナム事務所が設置されている。同事務所のスタッフが、プロジェクトを現地でサポートしている。

3) ベトナム側カウンターパート

 ODA受入国のプロジェクト担当機関を「カウンターパート」と呼び、当プロジェクトのカウンターパートは、司法省(MOJ)、最高人民裁判所(SPC)、最高人民検察院(SPP)、ベトナム弁護士連合会(VBF)の4機関である。

 カウンターパートの担当者の中には、1996年のプロジェクト開始当時から関与している人をはじめ、長いお付き合いの方が少なくない。中でも、ハ・フン・クオン司法大臣は、司法省の少壮官僚だった時代から日本の法整備支援に関与しておられ、現在もその最大の理解者である。

ニャチャン市(カインホア省)郊外。ボートで川を渡る。
ニャチャン市(カインホア省)郊外。ボートで川を渡る。私のすぐ後ろの方は地元の裁判所長。

(2) 日本国内

 外務省国際協力局、JICA産業開発・公共政策部ガバナンスグループ法・司法課、JICA専門員(弁護士3名)、法務省法務総合研究所国際部(ICD)、日弁連国際交流委員会・事務局国際室、民法共同研究会(民法研究者によるアドバイザリーグループ)、裁判実務研究会(民訴法研究者によるアドバイザリーグループ)など多くの専門家が、現地プロジェクトを支えている。

6. その他の活動

(1) 国連・他ドナーとの連携

 ベトナムで法整備支援を行う国連機関や諸外国の政府ODA機関とは、同じテーマへの支援が重複することを避けるため、また、ベトナムの法・司法事情についての情報を交換するために、ドナーミーティング(年数回、UNDPと各国ドナーが集まって情報交換)のほか、他ドナーの活動に参加する(たとえば、デンマークとベトナムの実務家が、両国の法制度を比較する刑事模擬裁判を開き、私たちも傍聴した。)などの交流を行った。

(2) 法学教育

 2007年に終了した法整備支援プロジェクト第3フェーズでは、法曹教育の改善を支援していたため、2007年以降も、各長期専門家が、ボランティアとして、ベトナム国家大学・日越法学講座で日本法の講義をしたり、ハノイ法科大学日本法コース(ハノイ法科大学と名古屋大学が共同し、法学部生を対象として日本語・日本法を学ぶコースを開設)を訪問したりした。

7. ベトナムの国家と法

(1) 国家体制

 ベトナム社会主義共和国憲法(1992年)は、ベトナム共産党の指導下での「民主集中制」を国家統治原理としており、国会が最高機関であって、三権分立ではなく「分業」とされている。法律解釈権は、裁判所ではなく国会が持つ。

(2) 法体系

 ベトナムの法制度は、旧宗主国であるフランス法を母法とする大陸法系に属し、現在でも民法(2005年制定)に典型的にみられるように、フランス法の影響が強く残っている。戦後の社会主義体制下では、旧ソ連から社会主義法を導入し、そのため多くの裁判官、検察官、司法官僚(現在の50歳代半ばくらいまでの世代)が旧ソ連や東ドイツへ留学した経験をもっている。

 ドイモイ政策(1986年)による市場経済導入後、WTO加盟の準備段階においては(2007年1月正式加盟)、英米法(倒産法・担保法の一部など)を含む多様な法域からの影響を受けて、急速な法整備が進められ、現在に至っている。

(3) 司法制度

1) 裁判所

 ベトナムの裁判制度は、二審制(一審・控訴審)の上に、職権による監督審(大陸法系の破棄審Cassation)があり、最高人民裁判所(中央の監督審裁判所と全国5か所の控訴審裁判所)、省級裁判所、県級裁判所、が設置されている。最高人民裁判所には裁判官評議会(15名前後)があって、法令解釈および司法行政に関する評議会決定を発する権限がある。

2) 検察院

 刑事訴訟法は被告人の当事者性を認めない職権主義的構造を持ち、検察官が公益代表としての大きな役割を果たしている。また、社会主義法の影響で、検察院が司法制度全体を監督する権限を持ち、民事・行政訴訟の立会権・異議申立権が与えられている。現在、この民事・行政事件への関与については、検察や裁判所の中でも賛否両論あり、私たちが参加したワークショップでは多様な意見が出ていた。

3) 弁護士

 現行弁護士法(2006年)は、弁護士の法律業務独占、依頼者からの直接受任を認め、単位会・連合会への加入強制制度を取っている。また、単位会は省人民委員会、連合会は司法省の監督下にある。

 弁護士数は、2008年当時約5000人、毎年1000人程度が新規登録しているため、著しく増加し続けているが、2大都市(ハノイ・ホーチミン)への集中が激しく、過疎地では国選弁護人の確保すら困難な状況にある。

(4) 法学研究

 法学士課程をもつ大学が全国に20数校あり、その他、共産党、国会、政府、祖国戦線、法律家協会などに属する研究組織に研究者が在籍している。国家統一カリキュラムによって各大学の自由度が制約される上、裁判所に法解釈権がないこととも関連するのかもしれないが、研究者による法解釈学や判例研究はほとんど行われていない(授業は、実定法規の条文を祖述することが中心)。さらに、財政的困難のため大学教員の給与が低く(ある若手教員は月約100ドルだと教えてくれた)、生活のために研究よりも副業を優先せざるを得ない状況であるとも聞いた。

(5) 法律実務家養成

1) 裁判所・検察院

 中央・地方(各省級)機関がそれぞれ新卒法学士を採用し、内部で教育・昇進させるシステムを取り、原則として、他の省への異動はなく、同じ省で定年まで勤める(中央への個別の抜擢は行われる。)。

2) 弁護士

 法学士取得後、司法省司法学院で6か月の研修(座学)を受け、さらに各単位会に登録・法律事務所に勤務して18か月のOJTを修了し、卒業試験に合格すれば、弁護士資格が与えられる。

8. 日本から見たベトナム

(1) 人と国土

 ベトナムは、日本より少し狭い国土(約33万km2、日本は37.8万km2)に約8700万人(2010年、ベトナム統計総局(GSO))の人々が暮らし、30歳未満の若年人口が全体の半数を占める若い国で、どこへ行っても子ども・若者が圧倒的に多い。

 他方、いまだに人口の約70%が農村に居住しており、都市と農村の経済的格差が激しく、特に山岳地帯の少数民族に貧困層が多い。私が参加したMOJの戸籍官の研修会では、村の人民委員会(村役場)まで歩いて2,3日かかる集落がある、というような実情が報告されていた。

(2) 経済

 GDPは1,981兆ドン(約1,015億米ドル、2010年)、一人当たりGDP1,168米ドル(2010年)で、2010年に中進国となったことが内外で確認された。また、貧困率が93年の58.1%から2010年には9.5%まで減少したことは称賛に値する。

 日本は最大のODA支援国であり、また、バイク・自動車・電気製品など日系企業・製品の認知度・信頼性が高く、日本への期待は大きい。

(3) 日本との共通点の多さ

 ベトナムは、東南アジア諸国の中では、もっとも中華文明の影響を受けていて、日本人との共通点が多い。たとえば、

  • 漢字・漢語:ベトナム語の語彙の過半数は漢語由来(「漢越語」)で、固有名詞(越南=ヴィェト・ナム、河内=ハ・ノイ、呉志明=ホー・チ・ミン)や、法律用語(法律=ファップ・ルワット、権利=クゥェン・ロイ、義務=ギャ・ヴ、所有=ソ・ヒュウ)の多くが漢越語である(ただし、数世代にわたってアルファベット表記を使っており、殆どの人は漢字が全く読めない)。
  • お箸とお茶碗:米飯は茶碗に盛って、手ではなく箸で食べる。
  • 大乗仏教(禅宗・浄土宗など):他の東南アジア諸国が南伝仏教の国であるのに対し、ベトナムは日本と同様、中国経由で仏教を受け入れている。
  • 儒教・科挙制度:歴代王朝は、儒教を学んだ者を科挙により官吏として登用した。ハノイの観光名所の文廟は、孔子を祀る廟であり、かつ高等教育機関であった。

(4) “ムラ”社会

 日本人がベトナムの農村風景に懐かしさを感じるのは、稲作“ムラ”社会という共通点があるからではないだろうか。とくに、ハノイ周辺のホン川デルタ地帯では、家族による小規模な稲作が中心であるし、北部山岳地帯には棚田が広がっている。

 また、古くから「王の法は村の門を入らず」といわれるほど、村落共同体(いまだに多くの村には「郷約」という村の掟がある。)の力が強く、日本人が“ムラ”と聞いたときのイメージに近い。紛争を訴訟に持ち込むことには、依然として“ムラ”や身内からのプレッシャーがあり、裁判上・外の和解やADR(行政上の村単位で行われる「基礎レベルでの和解」が法制度化されている)が好まれるという点も、日本人としては親近感を覚える。

(5) 親日感情と「仏印進駐」

 ベトナムの親日感情が強い理由の一つは、日本軍がベトナムを戦場として戦わなかったからといわれることがある。しかし、ベトナムが日本による戦争被害を受けていないわけではない。フランスの親ドイツ政権の了解のもと、仏領インドシナに日本軍が駐留し(「仏印進駐」1940年)、コメの不作、日本軍による大量の徴発、流通経路の混乱などが原因となって、1944年・45年、北部を中心に大規模な飢饉が発生したこと(ベトナム民主共和国独立宣言(1945年9月2日)は、この飢饉によって「200万人が餓死した」という。)を忘れてはならないと思う。

ハノイ旧市街。テト(旧正月)前の大売り出し
ハノイ旧市街。テト(旧正月)前の大売り出し。この時期のハノイは最低気温が10度を下回り、暑さに慣れた身には真冬の寒さ。

9. ベトナムの女性法律家

 ベトナムの大学の法学部を訪問すると、圧倒的に女子学生が多いことに驚く。ベトナムでも非常に厳しい受験競争が行われているが、受験生に一番人気があるのが、理科系では工科大学、文科系では貿易大学だそうで、法学部は地味で専門職志向の強い「女子向きの学部」と受け止められていると聞いたことがある。

 先日、来日したベトナムの女性弁護士(ホーチミン市のビジネスロイヤー)に話を聞いたところ、直感的には女性弁護士の比率は8割くらいではないか、とのことであった。彼女が所属する法律事務所では、パートナーは男性が過半数、アソシエイトは男性一人で残りはすべて女性、だそうである。女性法律家の団体がないのか聞くと、他業種では女性だけの団体があるようだが、女性弁護士あるいは法律家の団体は聞いたことがないそうである。

 私の受けた印象では、パートナー、弁護士会役員、裁判所・検察院の幹部クラスなどは、依然男性が多数を占め、また、地方で開業している弁護士には、男性の裁判官・検察官OBが多いようであった。近年、法学部卒業生数が飛躍的に増加しており、そのうちの多数を女子学生が占めているとすると、法律家の女性比率はさらに増加するであろう。ベトナムの女性法律家の今後の活躍に注目していきたい。

 


1 2007-2010年度のプロジェクトの正式名称。過去・他国でのプロジェクトも含め、一般に「法整備支援プロジェクト」と呼ばれているので、本稿でもこの通称を使う。

2 法整備支援全般について、『JICAにおけるガバナンス支援―民主的な制度づくり、行政機能の向上、法整備支援―調査研究報告書』(JICAナレッジサイト>分野課題>ガバナンスhttp://gwweb.jica.go.jp/km/FSubject0401.nsf/NaviSubjTop?OpenNavigator)に詳述されており、本稿も同報告書によっている。

3 同プロジェクトについての詳細は、JICAナレッジサイトhttp://gwweb.jica.go.jp/km/ProjectView.nsf/fd8d16591192018749256bf300087cfd/1c99c99b4b26c1e8492575d1003554e1?OpenDocument。また、JICA広報誌「JICA's World」2011年4月号http://www.jica.go.jp/publication/j-world/1104/index.htmlは、法整備支援を特集しており、ベトナムのプロジェクトも詳しく紹介されている。

4 立法支援というと、「まだ法律がないのか」と聞かれることがある。ベトナムでは、私が着任した2009年当時すでに、2005年民法をはじめ、ほぼすべての分野で法律・国会常務委員会令・政府議定のいずれかの法規範文書が制定されていて、それらを改善する段階に入っていた。

5 日本国内におけるODA技術支援の実施をいう。私は、2009年・2010年の2回、ベトナム弁護士連合会メンバーに同行して、日弁連や単位会(大阪・栃木県)での研修に立ち会った。

6 バクニン省は、ハノイ市の東に隣接し、ハノイ中心部から省都バクニン市まで車で約1時間、クワンホーという民謡(2010年にユネスコ無形世界遺産に指定)で知られる。当プロジェクトのパイロット地区として、2007年から2011年まで、地方での実務運用について中央が情報を得て、これを地方へフィードバックするという活動を行い、私たち長期専門家は、月1回くらいのペースで同省を訪問した。